なんとなく詩を書いてみた
昨日の夜、詩を書いた。
なんで詩を書いたのかというと、友達が書いていたから。
友人がやっていることはとりあえず自分もやってみたくなる。そういうものだ。
それにお互いの作品を読んで感想を言い合う。そういう遊びがしてみたいのだ。
あと、一つの作品をきちんと完成させてみたかったから。
よく言われることだが、創作で一番大事なことは、下手でもいいからとにかく完成させること。
完成させることにおいては、詩は最も平易な表現形態の一つであろう。
一行でもいいから何か文章を書いて、それを「詩だ」と言い張れば、それは立派な詩なのである(詩人に対する冒涜)。
そして―これが最も重要な理由であるが―何より僕は、詩でも小説でも随筆でも何でもいいから、とにかく何か「作品」を(ブログ記事じゃなくて)書いてみたかったのである。
しかも書ければ何でもいいのである。どうしても伝えたいメッセージや想いがあるわけではない。いや、あるのかもしれないけど、僕自身、それを把握できていないし、把握できていたとしても、それを作品に落とし込む技量は僕にはまだない。
それに何らかの主張をしようとすると、どうしても肩肘が張ってしまってよろしくない。
僕は子どもが積み木遊びをするように、文字やイメージと戯れたいだけなのだ。気晴らしのために僕は詩を書きたかった。
どうしてこんなにも長々と、僕が詩を書く理由を説明したのかというと、一つには僕の自意識過剰―何の断りもなしに詩を発表することに気恥ずかしさを覚えてしまう(そして一人の青年をして詩作に対し羞恥心を抱かしめる、そんな世の中である)―のためである。
もう一つは僕の知り合いのためである。もし僕がいきなり自作の詩をブログに上げ始めたら、僕の精神状態を心配してしまうだろうから。ご心配なく。僕は元気です。
最後にもう一度だけ言う。僕は詩を書いてみたかった。だから書いてみた。それ以上でもそれ以下でもない。
詩を書くのは小学校の国語の授業以来だったかもしれない。
僕は小学生の頃、詩を書くのが好きだった。
10年以上ぶりくらいに詩を書いてみたのだが、書いている間はとても楽しかったし、書き上げた時には達成感があった。
ふざけ半分、行き当たりばったりに30分程度で書き上げた詩である。
それこそ小学生が書いたような拙い詩であるが、読んでいってもらいたい。
タイトルは「太郎が死んだ」。
太郎が死んだ
太郎が死んだ。
土曜の夜に、太郎は死んだ。
家に帰ると、太郎は死んでいたのである。
太郎は一匹の犬だ。
黄色い毛色の、大きな犬だ。
あまり吠えない、おとなしい犬だった。
太郎は生きた。
十年と少しの間、
太郎は毎日、生きていた。
その太郎が、昨日、死んだ。
太郎は死んだのである。
はい。詩です!どっからどうみても立派な詩です!!
ありがとうございます!
やったね!!
・・・まあこんなものじゃないでしょうか。とにかく作り続けること、完成させること、あと発表して人目に触れさせることが大切だ。
これからも思いつきで書いた詩とか小説をアップするかもしれないので、生暖かく見守ってください。よろしくお願い致します。
おわり