大学生活の反省
ブログを引っ越したので、過去記事を転載。
これは今年の春(2015年3月末)に書いたもので、僕が大学を卒業する頃の記事です。
この時に誓ったような大学院生活が送れているかというと耳が痛い話なのですが、色々と迷いながらも、以前より少しは前向きになれたんじゃないかな・・・?
いや、前向きになれたということにしておきましょう笑。少なくとも、前よりはマシであるということは自信を持って言えます。それで充分なんじゃないかな。
「自分が持っていないものを羨むより、自分が持っているものを大切にした方が良い」みたいなことはよく言われますしね。
あんまりグダグダ書くと何だか負け惜しみみたいになるので、そろそろやめておきましょう笑。大学院生活も4分の1が過ぎてしまいましたが、これからも初心を忘れずに頑張っていきたいと思います。
とまあ、なんとなくまとまったところで、以下、過去記事です。どうぞ。
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去る3月25日に大学の卒業式がありましたが、思い返せば悲しくなるくらいに何ともパッとしない大学生活でした。
バイトも旅行もほとんどせず、恋人もできなかったし、サークルも3年以降ほとんどコミットせず。就活もしなかったし、インターンも海外留学もしていない。学生団体やボランティア活動等、その他意識高い系の活動もしてない。せっかく東京に住んでいるのに、美味しいものを食べたり、オシャレな服を着たり、美術館を巡ったり、イベントに参加したりといったこともしませんでした。
勉学に励んだかと言うとそれもまた微妙で、たしかに授業には真面目に出席してレポートもちゃんと書いていたけど、成績なんか気にしないで、寝食も忘れて学びたいことを夢中になって学んでいたわけではないように思います。本もそれほど読んでいません(4年間で100冊程度でしょうか)。
食って寝てネットして単位だけ取ってクソして寝るみたいな、どうしようもない大学生活でした。そのくせ、やけに上から目線で社会や人生についてTwitterで語っちゃうんだから、本当にどうしようもない。
こんな4年間を過ごしたものだから。
青春を全うしきった友人たちの笑顔がまぶしすぎて。
自分の居場所がどこにもないような気がして。
鬱積した感情が一気に噴出して、卒業式の翌日は一日中泣いていました。
・・・段々気が滅入ってきてしまいましたが、暗いのはここまで。今僕は元気です。ここからが、僕が今日どうしても書きたかったことです。
僕は基本的に「遊べるのは学生のうちまで」みたいな考え方が嫌いです。生涯学習の観点から見ても、ワークライフバランスの観点から見ても好ましくありません。人は何歳からでも学び直せるし、人生をやり直すことができる。また、そのような社会であるべきだ。というのが僕の信条です。社会人になろうが有給は全部消化してバカンスを取る。おじさんになっても学びたいことがでてきたら大学に戻って学び直す。その気になれば、いつでもなんでもできるはずだ!
でも、その「いつでもできる」が、いつのまにか「今やらなくてもよい」になってしまったのがこの4年間だったのかなって。「いつでもできる」を「今やらない」ための言い訳にして、行動を先延ばししていたんですね。これはよくない。じゃあ「いつでもなんでもできる」なんて甘っちょろい考えは棄てるべきなのか。
いや、ちょっと待てよ。
「いつでもできる」んだろ?
「いつでも」ってことは「今でも」できるってことだよね???
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そうだよ、「いつでも」できるんだから「今」やろうよ!!
まあ現実問題、働きだしたり家庭を持ったりしたら確実に自由な時間は減るだろうし、自分自身の心身の衰えもあるだろうし、再チャレンジ可能とはいえ、やっぱり今できることを今やるに越したことはないわけで。
ってことで、4月から始まる大学院生活は、「いつでもできる」からこそ「今やる」。そんな2年間にしたいと思うのでした。